2019.11.21

裸で身を委ねるということ。

マインドフルネス

こんにちは、石井です。

 

今日は裸で身を委ねるということについて書きますね。

 

さて、みなさんは一糸纏わぬ裸で、目の前の相手に身を委ねたことはありますか?

 

パートナーとのSEXをする時にはもちろん、お互いに裸で身を委ね合うと思うのですが、それが初めましての相手だったらどうでしょう? ましてやそれが異性だったら?

 

視力を失った翌日の朝、僕は病院のベッドの上にいました。まだ視力を失ったという状況を受け入れられていない中、看護師の若い女性が僕のところへやって来て「シャワーに行きましょう」と声をかけてくれました。当時、歩くこともままならなかった僕は車椅子に座らされ、シャワー室へと連れていかれたのです。

 

シャワー室に入り、今度は車椅子から小さな椅子へと移動、僕はもうまるでベルトコンベアに乗せられたように自分の身体を看護師さんに委ねていました。

 

目の前は真っ暗、シャワー室の全体像もまったくわからない状況で、これからどうするのだろう?と不安な気持ちに僕は覆われていました。看護師さんは「じゃあ、服を脱いでください」となんのためらいもなく僕に言いました。一瞬、頭の中で理解ができず、でもこれからシャワーを浴びるのであれば服は脱がないといけないよなと理解し服を脱ぎ始めたのですがどうしても最後の一枚のパンツを脱ぐことにためらいを感じました。

 

「パンツはどうしたらいいですか?」と、まるで初めて風俗店に入った童貞のように聞いてみたら、もちろん「脱いでくださいね」と優しい答えが返ってきました。

 

さて、僕はこれまで初対面の女性の前で裸になるという経験がありませんでした。恥ずかしさとなんとなく申し訳ないという気持ちが入り混じったものを心に感じながら、心理的な安心を得られないままに僕は最後の一枚を脱いだのです。

 

両手を彼女にひかれながらシャワーの前まで移動をしたのですが、見えなくて怖いし、裸で無防備だし、不安で不安で腰がひけてしまい身体のあらゆる所が縮こまった状態で、僕よりも10歳は若い看護師さんの目の前に存在していることにとにかく居心地の悪さと惨めさを感じました。

 

「じゃあ体を流しますね」という言葉と同時にシャワーから出る水の音が聞こえ湯気がたつのを感じました。今、思い返すと看護師=ナースのコスチュームを着た若い女性に、裸で体を洗ってもらうというシチュエーションはなかなかのものだなと思うのですが、この時の僕にはそんなことを思う余裕などこれっぽっちもなく、ただただ縮こまっていました。

 

でも、次の瞬間この気持ちが絶対的な安心感へと変わりました。それは温かいお湯を身体で感じ、看護師さんの優しい手で頭を撫でてもらい、背なかを摩るように洗ってもらったのがきっかけでした。「触れる」ということが一瞬で僕の心の中に安心感を作り出してくれたのです。

 

頭をシャンプーで洗ってもらいながら、あぁ幼い頃にこうしてお母さんにシャンプーしてもらったなという思い出も蘇り、その時は完全に相手に身を委ねていたなと思い、この看護師さんにもそうしてみることにしました。

 

主体性を持って相手に完全に身を委ねることは、なかなか心理的なハードルは高く感じると思います。心が緊張した状態だと、もちろん身体も緊張をしていて、クラニオの施術をする時であればその緊張はセラピストの僕にもクライアントにも存在しているものだと思うのです。でも、その緊張は触れることで緩めほどくことができるのだなと、僕はこの経験をもって改めて実感をしました。

 

パートナーがいる方はぜひ、お互い裸になってお風呂で頭を洗ったり、洗われたりしてみてください。SEXのことはちょっと横に置いておいて、ただただ裸で相手に身を委ねること、委ねられることを体験してみてください。この感覚を身体で憶えておくと、なんらかの理由で誰かの介助やサポートが必要になった時、相手に、自分の身を主体的に委ねることができるようになると思うのです。このスキルはこれからの世界を安心して暮らしていくために、必須になるスキルだと思います。僕はこれができるようになったことで、世界に対してより安心感を得られるようになりました。

 

続きはまた。

石井 健介

1979年生まれ セラピスト
アパレル業界を経て、エコロジカルでサステナブルな仕事へとシフト。2012年よりクラニアルセイクラルとマインドフルネス瞑想を取り入れたThe Calmというオリジナルセラピーを始める。同時進行してフリーランスの企画・営業・広報として働き始める。
2016年の4月のある朝、目を覚ますと突然視力が失われていた、という衝撃的な体験をしたが、日々をマインドフルにいき、生来の風のような性格も相まって周囲が驚くくらいあっけらかんと過ごしている。