2019.12.20

年末の帰省で気が重いとき ~心と身体が楽になる視点~

こんにちは。半澤久恵(きぃ)です。
 
12月。いよいよ年の瀬が押し迫ってきましたね。
 
年末と言えば帰省。
帰省と言えば実家。
実家と言えばめんどくさい。
 
やや(かなり)強引なまとめですが、このような連想を実際にお感じになる方、多少なりともいらっしゃるのではないでしょうか。
 
今回は心理的な話ではなく、「家族といるときのじぶん」をどう捉えているか。そこが変わると、気持ちや態度はどう変るのか。という、新しい視点と感覚のことを書きました。
ご実家への帰省だけではなく、忘年会、新年会のときの居心地のわるさなどを感じている方にもご覧いただければと思います。
 
 

 
 
家族というのは人間関係の中でももっとも身近で濃いつながりです。一概には言えませんが、友人や仕事関係では『礼儀・配慮・空気を読む』などが暗黙のルールとしてあり、程よい個人の領域が比較的に保たれやすいものです。それに比べ、家族になると『つながり濃い目・距離近め・気ぃ使わんでいい感じ』と、急にパーソナルスペースの輪は小さく、境界は曖昧になってきます。
 

「身内だから」という前提のもと、それによるつながりが、温かで安心を感じるものになったり。逆に踏み込まれすぎる感じが重たいものになったり。それぞれのお家のカラーや親子関係によって、いろいろなタイプがあるでしょう。
(ちなみに、我が家は情厚過ぎタイプで、今は愛しいこの傾向ですが、以前は思いの熱量に消化不良になることもしばしばでした。笑 )

 
この家族というコミュニティには「一緒にいることが当たり前だし、この関係の中ならある程度のことは何をしても許されるし、されても許せる。」と共有している意識があります。
 
例えば、
 
・腹が立ったときなど、そこまで考えずに思っていることを口にできる。
・けんかしても自然といつもどおりになっている。
・「靴下は洗濯機に入れます。」と言って、放置してても家族であることから省かれない。
・おならをがまんしなくていい。
・他人だったら丁寧に説明するけど、夫には言葉をはしょる。
 
などです。
ルールがあるようでない。ゆるいけど切れない。そんなつながりの中にあります。
 
 
ここで話は飛ぶようですが、先日『他者とわかりあうこと』について考えるトークイベントに参加してきました。そこでゲストのドミニク・チェンさんから出てきたのが、「共在感覚」という言葉でした。
 
共在感覚とは、文化人類学者の木村大治教授が造られた言葉で『共に在る感覚』のこと。この『共に・在る』の範囲が、アフリカのある民族では日本で生活しているときの感覚とかなり異なるものなのです。
 
どういうことかというと、例えば、ボンガンドという村の人たち。
 
彼らは自分の家から出たときに、隣の家に住んでいる人に会っても挨拶をしません。なぜなら「すでに(この村という家のようなところで)一緒にいるし。今も一緒のまま。」という感覚だからです。
 
つまり、自分の家があって、隣に他人の家があって。ということではなく、すでに村全体が共同体でひとつの家族のようなくくりで。家の中・外関係なく、今同じところで共に過ごしている自分たち。ということなのです。
 
その範囲は150~200mぐらいらしいのですが、目の前で話している人との会話の続きを10m先にいる人にも平気でふる。あちらも普通に答えてくる。。。というように、「一緒にいる」と捉えている空間と時間の認識が広い。そして自由!
 
そして、私は思いました。
 
「この感覚をもって今いるところをみてみたら、どんな感じだろう。」
 
自分のテリトリーをどのように捉えているか?
その範囲で、どのように過ごしているだろうか?
 
 
私は東京に住んでいるのですが、目の前や隣に住んでいる方とは挨拶をします。けれど、二軒先、三軒先となってくるとどうか。町内となるとどうか。
振り返ってみると、挨拶をする関係ではない人が増えていくのです。
 
なんとなくいつも拝見するお顔でも、知人でもない。こんなに近くに住んでいながら、つながり感があまりない。。
 
『200mぐらい先までは家・家族』みたいな感覚のボンガンドの人たちと比べると、これはすごく不自然なことのようにも感じました。(比べるとこ、極端すぎ。という話もありますが。笑)
 
そして、この「共在感覚」に、家族と過ごすときのヒントがある気がしたのです。
 
ちょっとイメージしていただきたいのですが、一緒にいて窮屈さを感じる相手や場所を思い浮かべてみてください。(例えば帰省先、会社、所属するコミュニティなど。)
 
 
…そこにいるあなたはどんな様子でいるでしょうか。
 
辺りをどんな広さで捉えていて。その周りにはどのような続きがあるでしょうか。それとも周りは見えず、自分とその人という半径になっているでしょうか。
 
 
では次に、ボンガンドの村に行ってみましょう。(着いてきてください!)
 
 
『自分がいて、その150m周辺まるごと自分の場所。そこにあるものは自分の家族のような仲間。それぞれが好きなように過ごしている。でも一緒にいることもわかっている。』
 
 
いかがですか?
 

なんだか、気持ちの軽さ、身体の広がり、視点の変化。ありませんでしたか。
 

見え方としては、目玉で目の前のコップを凝視しているのと、頭の後ろのほうからコップを眺めている感じ、の違いのような。(虫の視点と鳥の視点。)
 

ふだん過ごすときには大抵の場合、自分と相手。自分とその場。と、視野も範囲も自分の捉えている数メートルの中にいます。そしてその枠の中で互いの境界線に入りすぎて息が詰まりそうになったり。逆にこんなに近いのに、全くつながりがない感じで寂しさや虚しさを感じたり。
 
こうみると心理的・物理的な人間関係の距離感ってなかなか難しいところです。
 
けれど、近すぎる一方で関わらなさすぎる。というアンバランスさに対して共在感覚を持つと、なんだか風通しのよい適度なつながり感が出てくる気がしませんか?
 
試しにもう一度、共在感覚を意識して、カフェや会社、自分の住んでいる町をイメージしてみてください。
 
実家を想像してみるとどうでしょうか?
 
 
家の外も自分のコミュニティという意識。。。
 

私は途端に「今、共にいる。そして、それぞれだ。」というなんとも言えない親密さと、「ここだけじゃないのだ。」という、ギュッと固めていた眉間がひらくような開放感がありました。外をみると、知り合いでもない人が道を歩いている。でも赤の他人ではない。という不思議な感覚。
 
ぜひ皆さんもどのような感覚になるか。イメージで遊んでいただければと思います。レッツ、ボンガンドです。
 

大切だからこそ、密度の濃くなりがちな家族や仲間。その関係に、自立ベースの『境界線』を取り入れる。自由とつながりを感じる『共在感覚』で在る。そうして過ごしていると、どのような姿勢、表情、言葉になってくるか。
 
 
人と触れ合うことが多くなるこの時期。ご自身にとっての心や身体の心地よさを感じるスペースはどんなものか、ぜひご覧になってみてくださいね。
 

楽しい年末年始をお過ごしください。
 
 
☆境界線に関するセミナーを1月に開催するのですが、こちらキャンセル待ちとなっております。新しいご案内などをご希望の方はメールマガジンにご登録ください。
リクエスト・ご感想などもお気軽にお寄せください^^
 
>>Joy your LIFE.

半澤久恵

セラピスト/AROHAM Holistic Healing Salon主催

英国Holistic Healing College ホリスティックヒーリングカウンセラー
一般社団法人ハートレジリエンス協会 OAD心理セラピスト
Somatic Experiencing®中級修了
JMET認定 EFTトレーナー

「より楽に生きる」ための心身へアプローチするセッションを提供。
個人セッションのほか、セミナーや講座で心理学やセラピスト養成なども行う。
 

20年ほど心身の探求をしながら、アロマセラピスト→ボディワーカー→心理カウンセラー
→すべて統合した今に至ります。百人百様の心身に、そのときの最適なものを提供するスタイルです。今でも完成形ではなく、かと言って足りないでもなく。。
変化し続ける生命の現れに触れながら、その動きの不思議さに魅了され続けています。

私自身の生きづらさから始まった、ヒト・人生・生きることへの研究は深めれば深めるほど豊かな世界を広げてくれます。

ストレスや苦しみ、病気は一見ネガティブだったり、排除したくなる感じかもしれません。けれど、その真裏にはそれ以上の希望や夢、愛、などがあって。「生命の本質ってこっちだったのだな。本当にいろいろ大丈夫だったのだな。」ということがわかってからは、そのことを分かち合いたく、日々セッションやセミナーを通してご一緒しています。

心や身体のつっかかりが取れて。一人ひとりが伸びやかに過ごす。心地よく在る人が増えていく。そんな世の中ってどうだろう!と鼻がふくらむ毎日です。
いろいろな形で世界中に心地よいが増えていきますよう。

好きな言葉:「こころは自由に 身体は軽く」「自然はその理に従う」


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