2020.6.23

共感をしてもらうということについて

コンパッション マインドフルネス

こんにちは、石井です。

 

今日は共感をしてもらうことについて。

 

あなたの目の前に、突然視力を失い絶望をしている人がいます。あなたはどんな言葉をその人にかけてあげますか?

 

僕はこの答えを200通りくらい知っています。なぜならその言葉を実際に受け取ってきたからです。

 

多くの人は「大丈夫?」と心配の言葉をかけてくれました。またそれと同じくらいの人は「絶対に大丈夫だよ」と安心させてくれるような言葉をかけてくれました。そして「神様」が含まれている言葉もたくさん受け取りました。

 

「神様は乗り越えられない試練は与えない」「神様がくれた休息だね」「神様からのギフトだね」などなど。

 

以前、このコラムにも書きましたが僕は頂いた言葉の意味を頭で考えるよりも先に、その人の気持ちを心で受け取っていたので、その言葉の持つ意味を深く考えることはありませんでした。正確に言えば、考える余裕などその時には無かったのです。ただ、どこかしっくりこない感じが心の内にありました。それは本当にじぶんの気持ちに「共感」をしてくれる言葉に出会っていなかったからです。

 

当時の僕は自分の身に何が起きたのか理解できず、混乱と絶望の中でもがいていました。光が差したとしても、すぐに消えてしまう。何度となく神という存在を呪い、何度となく神という存在に救いを求める時間を過ごしました。

 

そんなある日、兄のように慕っているある方がお見舞いに来てくれました。東洋医学の探求者で、鍼灸師として勉強会なども積極的に開催している鈴木康弦さん。

 

彼は病室に入ってくるなり笑いながら「石井君、案外元気そうじゃん」と明るく言い、続け様に「いやぁ、可哀想だね」と言いました。

 

「可哀想だね」

 

この言葉にどんな印象を持ちますか?相手が泣いている幼い子供ならまだしも、絶望をしているであろう大人に向けてこの言葉をかけることには躊躇してしまうのではないでしょうか?

 

でも康さんはとても自然にこの言葉を口にしてくれたのです。そしてこの言葉こそ、僕が求めていた「共感」の言葉だったのです。僕にとっては「共感的」な一言でした。

 

「だってさ、昨日まで見えていた人が突然見えなくなったんだよ、しかも子供が生まれたばかりなのに。自分がそんな状況だったら、自分のこと可哀想だと思うよ。だから、石井君のことを可哀想だと思わない方が不思議だよ」

 

僕は混乱と絶望の中で、自分はなんて不幸なんだ、なんでこんな目にあうんだと自分を哀れんで過ごしていました。でも、周りの人たちは気を使ってか、僕を安心させたり励ましてくれる言葉ばかりをかけてくれていました。康さんのように、「可哀想だね」と哀れんでくれる人はいなかったのです。

 

これはもちろん信頼関係があるからこその「共感」だと思います。見ず知らずの人や関係が浅い人に「可哀想だね」と言われれば、受け取り方は違ったと思います。ただ、これは逆も然りで、「神様が与えてくれた試練」という励ましの言葉も、関係性如何によっては、相手を傷つける言葉になるということです。

 

「可哀想だね」

 

この一言をきっかけにして、僕の内では「自己受容=セルフコンパッション」が加速度的に進んでいきました。

 

その話はまた。

 

鈴木康弦さんの2冊目の著書「体内時刻を制すれば痛みはが消える!不調は無くなる!」はこちら。
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石井 健介

1979年生まれ セラピスト
アパレル業界を経て、エコロジカルでサステナブルな仕事へとシフト。2012年よりクラニアルセイクラルとマインドフルネス瞑想を取り入れたThe Calmというオリジナルセラピーを始める。同時進行してフリーランスの企画・営業・広報として働き始める。
2016年の4月のある朝、目を覚ますと突然視力が失われていた、という衝撃的な体験をしたが、日々をマインドフルにいき、生来の風のような性格も相まって周囲が驚くくらいあっけらかんと過ごしている。