連載・コラム
スイーツとの付き合い方を考える
Touch for World代表・パーソナルセラピスト 小松ゆり子 です。
「Magellan」では、五感至上主義者&セラピストの視点から「明日を選ぶ羅針盤」となるあれこれを綴っています。
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「元気」とはなんぞや。
ということについて対話する、「マゼラン」のイベント。
「生きて死ぬ私たちの「元気」のこと。~「動く」ということが私たちにくれるギフト~」。
マゼラン編集長 小笠原和葉さんと対話する元気すぎるゲストは、私も参加したトーマスマイヤース 主催筋筋膜解剖実習や数々の「動く」ことに対するセミナーをオーガナイズしているKINETIKOSの谷香織さん。
そして、私のアトリエから最も近いヨガスタジオ「TOKYO YOGA」を主催するアシュタンガヨガとリストラティブヨガの第一人者Chama先生。
広辞苑的には
「心身の活動の源となる力。」
「体の調子がよく、健康であること。」
「天地の間にあって、万物生成の根本となる精気。」
こんなことを元気という。
さて、今。
自分にはこうした「元気」があると感じているだろうか?
ちなみに、私が元気かどうかを自分で見分けるのは、例えばリンゴの皮を剥けるかどうか。
リンゴの皮をむくのが面倒くさい。。。
と感じて、せっかく買ってきたリンゴの味がボヤけるほど放置してしまう。これは、かなり元気がない状態。
逆に、元気があるときは多少手間だと感じてもサクサクとリンゴの皮が剥けてしまう。
旬のリンゴを買ってきて、サクサク皮をむいて蜜たっぷりのそれを頬張るとき。
ああ、私は今、元気なんだなぁと、シミジミ感じる。
リンゴを剥くのに大した体力も労力もいらないわけだけど。
それでもこんな「元気」のバロメーターになる。
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「元気のなさ」は、ひっそりといつの間にか忍び寄る。
自分が好きな仕事、仕事の内容も周りの環境も楽しんでいる仕事。仕事はちょっと忙しいけど、ストレスもむしろスパイスかも。
そんな風に思っていても、気づけばアトピーの皮膚症状が悪化していた。
そんな和葉さんの話は、そのまま昔の自分でもある。
「一匹の動物としての自分」の心身には思わぬ負荷をかけている可能性があるのだ。
内側に負荷がかかっていることに気づかないくらい、知らないうちに動物としての個体の心身は凍りついてしまっているかもしれない。
私の場合は、幸い心身ともに丈夫なDNAがあったのか、臨界点を超えるような不調を感じたことはなかったのだけれど、神経系の緊張は体にこびりついていたと思う。
それをセラピストとしてトレーニングを積む中で、自分がセラピーを受けたり、心と体に意識を向けて動かすことで、少しずつ解放していった。
今では、自分の「交感神経系にスイッチがONしやすい自分」を自覚しているので、かなり意識して、今までの知識と体験を駆使して「副交感神経にスイッチON」を心がけている。
…でもまぁ心がけてて、トントン以下、くらいでしょうか(笑)
私はどちらかというと「元気が有り余る」時の方が多かった。
それは私の資質の一つでもあり、だからこそ自身が提供するセラピーに「ヴァイタル・タッチセラピー」と名付けもした。
けれど、年齢を重ねるうちに「元気でない」時間も増えてきた。
ホルモンバランスや、身体の経年劣化などいろいろ理由はあるけれど、だんだんと「動く」ことが以前より億劫にもなってきていることを、感じている。
そんな、そこはかとない元気のなさ。
これを放っておいてはいけない。
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では、どうやったら「元気のなさ」から脱することができるのか。
それにはやはり、まず「動く」こと。
例えば、Chama先生の専門分野でガンガン動くタイプのヨガであるアシュタンガヨガは、しっかり動くことと、最後のシャバアーサナ(死体のポーズ)までのデザインがちゃんとされているし、呼吸に意識を向けることの訓練にもなる。
ヨガの世界に体への糸口を見つけた和葉さんが「英雄のポーズ」で謎の全能感に包まれたように、アーサナの一つずつがある種のムドラ(ある特殊な力を象徴するような印)であり、体の動きから心の動きを変えるような身体心理学的な働きをしてくれることもある。
さらに、リストラティブという完全に脱力をするタイプのヨガにも取り組んでいくことで、Chama先生自身バランスが取れたのだとか。
たくさん動いた時の自分、動ききった後に力が抜けた自分。
動くことを通じて、自分の呼吸の入り方、体の動きや感じ方に目を向けて観察みる。
動くことで体の隅々まで酸素や栄養を含んだ血液が届き、老廃物が排出し始める。つまり循環する。
体の一部である脳にも酸素が届き、自分の意識に思わぬアイディアが浮かぶこともある。
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体と精神は、やはり一つである。
「肉体」に意識を置くことは力強さを感じ、とてもグラウンディングする。
以前もマゼランで書いたけれど、「強さ」は「脳筋」的なことでも何かに対して「鈍感」になることでもなく、内側に向かう繊細さとも同居することも可能なもの。
強さ+繊細さ=しなやかさ。
大事なのは変化に対して適合するしなやかさが、神経系にあること。身体的にもストレスに適合できるし、心理的なストレスにも適合できるキャパシティの大きさ。
その「しなやかさ」や「キャパシティ」を作る鍵となるものは。
それが、少しでも「動く」こと。
いつもとちがう大きな一歩を踏み出して歩いてみる。
爪先立ちでしばらくバランスしてみる。
心より先に体に少しずつ「貯筋」をつくる。
そうやって、すこしずつ「動き」を増やしていくと、それ自身がブースターになってさらなる「動き」、そして「元気」へとつながる。
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ちなみに、今や元気すぎるゲストのお二人の思春期には、完全に「動かない」「内側のみへ意識を深める」という時期があったというのが非常に興味深かった。
「15歳の頃あるきっかけで拒食になって。体力が落ちて結核になって。でも食べないことで、どんどん自分が透明になる様を観察していて体重が減るのがうれしかった。でもある日、ふらふらの体でちょっと太陽の光につられて外に出てみたら、世界が総天然色に満ちていることに気づいた。そして、自分がいた世界の色のなさにも気づいて、色のある世界に行きたいと思って食べ始めた。」
というまるで小説の1ページのような香織さんの話。
「動き」がない世界で、内側の繊細さにのみ意識を向けると、固く小さくなっていく。
そこから、さらなる山を乗り越えて、エアロビクスのインストラクター、ひいてはロルファーにもなり、とんでもなく元気の塊のようになるのだから人生わからない。
私たちが「動く」こと「体」に意識を向けることは、いつからでも遅いということはないのだ。
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元気とは、体のことだけでもなく、心だけのことでもない。
動ける心と体があること、なのだろうと思う。
億劫でもなんでも、まず「動く」ことが心の光を拡大してくれることもある。
だから、リンゴの皮を試しに剥いてみる。
皮を剥かなくてもいいかもしれない。
水で洗って、とりあえずかぶりついてみる、というのも立派な「動き」だ。
一旦かぶりついたなら、その果肉の瑞々しさがブースターになって、きっと元気が戻ってくるはず。
心と身体、魂をつなぐ120分間の濃密なオイルトリートメント。
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小松 ゆり子
Touch for World 代表/パーソナル・セラピスト/五感至上主義。音楽レーベル宣伝部プロモーターを経て、自然療法の世界へ。現代人の「身体性」を取り戻すこと、「心と身体、世界をつなぐ」をテーマとし、南青山のアトリエ「corpo e alma(コルポ・エ・アルマ)」を中心にセラピーやセミナーを行い、執筆、監修 も多数。東洋的な押圧とロングストロークやストレッチングを多用し、植物や鉱物の力をフュージョンさせたオリジナルメソッド「ヴァイタル・タッチセラピー」を提唱し、密度の濃い「パーソナル」なスタンスでオーダーメイドの施術を行う。音楽、カルチャーとセラピーを融合するイベントも多数開催。趣味は世界の癒しに触れる旅。