連載・コラム
スイーツとの付き合い方を考える
「悲しみ」
について、最近良く考える。きっかけは何だっただろうか。忘れてしまったけれど。
ネガティブ感情との付き合い方を、私はすごく大事だと思っていて、
ネガorポジの、二元で分ければもちろん
なるべくポジティブなものだけ感じたいと思うのが道理だけれども、
この地上を生きていたらそうは行かないわけで。
そこを無理やり(全ては意味あることなんだ、みたいな心にもない”解釈”をしなおしたりして)
ポジに反転させるよりは、ネガティブな気持ち悪さを持っていられる力のほうが
その人の本質的な力だと思うほうだ。
(これについては「ネガティブ・ケイパビリティ」というタイトルで改めてこってりと書きたい。
↑約束ではなく、願望です、笑)
で、悲しみに戻って。
悲しみって、ネガティブ感情の中でも、少なくとも私にとっては
なんだか特別なレイヤーに存在する気がしている。
もし「怒り」「恐れ」「悲しみ」が
ネガティブ御三家だとしたら、
なんだか悲しみだけ甘美さを感じるのだ。
なんなんだろう、この悲しいという気持ちにある甘さ。
私の固有な感覚なのだろうか。それともよく見ると悲しみにも内部構造があって
分類できるのだろうか。みなさんはどう思われるだろう??
ひとまず、怒りや恐れと、「悲しみ」では、はっきりと対処が違うのではないだろうか。
悲しみ、って味わっているとなんだかその向こうに繋がる不思議な「愛おしさ」の
感覚にたどり着く。
そしてその愛おしさは、感じているとまた悲しさに戻ってきて・・
と言う謎のエコシステムというかスパイラルがそこにある。
心理学的に分析すればスパッとした解釈がいかにもありそうだけれど、
そこにきっとリアリティは感じない自信があるな。
(とかいってめちゃくちゃ納得したりして)
3年かけて学んだトラウマ療法の中で、
「トラウマは人を魅了する」という言葉に出会って、なるほどと膝を打った。
悲しみの甘美さはちょっとそれに近い魔力があるのかも知れない。
悲劇のヒロインの気分の主成分はこの、悲しみと愛おしさのループの甘美さなのではないかな。
怒りの下には悲しみがある、とよく言う。
怒りは自分の「パワー」を感じられる感情だ。
対して悲しみって、どちらかというと無力感・失ったという感覚とカップリングしがちだから
特に男性は、怒りの向こうにある悲しみにアクセスすることは(一般的に)容易ではない。
vulnerable、と言う言葉があって、ちょっとピッタリ来る訳(やく)が多分ない中でも
「脆弱性」とかいう言葉が当てられることが多いみたいだ。
悲しみを含めた、自分のvulnerableなサイドにアクセスするためには、自分を固く守っていた鎧を手放して
無防備になっていく感覚が要求される。
だから、感情を切り離して、はりつめて頑張ってる人(あるいは時)ほど
その難易度は高い。
無防備になる不安さ(それは死につながる恐怖にまでつながるから)に比べたら、怒り、という感情を使って自分のパワー(効力感、というのかな?)を確かめられることのほうが安心だ。
でも、
難しいからこそ、「悲しみ」にアクセスできること、
自分の中に浮かんだり、やってきたり、そもそもずっとあったりする悲しみを、少しでも「感じられる」って実はとても大きなリソースになるのではないかな。
浮かんだことをノープランで書き始めてしまったので、結論らしい結論がない記事で申し訳ないけれど、
とにかく「悲しみ」というものについての興味が尽きない今日このごろ。
悲しみの向こうにある、あるいはそれとつながっている大きなリソースについて
引き続き感じてみたい。
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ああ、悲しみ、ということについて対談とかしたい!!!
悲しみの内部構造についてチャートとか書きながら日がな一日考え続けてみたい。
魅了されています、笑
小笠原 和葉
ボディーワーカー /健康経営コンサルタント/
プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド®(PBM)ファウンダー
代替医療を中心として学術・臨床研究を深めながらさまざまな発信や
コラボレーションを通して新しい健康観「健康3.0」を探求している。
著書「システム感情片付け術」(日貿出版社)
クラ二オセイクラル・プラクティショナー(CHA)アシスタント・チューター
Somatic Experiencing®認定プラクティショナー
東北大学医学部大学院研究生
宇宙物理学修士
趣昧はフィギュアスケート鑑賞。一児の母。