連載・コラム
スイーツとの付き合い方を考える
5年前、出産後初めてボディーワークのワークショップに参加した記録がFacebookに上がってきました。
おじょうさんが、まだ4歳?
保育園に通わせながらほとんどワンオペで育児をこなしていた頃。
それまでフルに時間をエンジョイしていた人生が、出産育児でわやくちゃになり、「自分らしさ」という感覚も「わたしというものがいる」という感覚さえよくわからない朦朧とした日々から、徐々に自分の時間を取り戻しつつあった時期。
キャロル先生のダイアフラム(隔膜)についての4日のWSだったと記憶しているけれど、そう、最後のセッションのあとに声をかけに来てくれたのでした。
「あなたは持続可能なSELFの感覚をあなたの中に取り戻した」
のだと、
そして
「それはもう失われることがない」のだと。
講座の文脈の中ではちょっと唐突で、なぜこれをわざわざ言いに来てくれたのだろうと思考はその理由を探したけれど、
それがまさにわたしに起こったとても大事な瞬間だったのをキャロルは分かっていたのだろうということが、今感動の中から感じられます。
育児に限らず、何かに巻き込まれている時、(というか巻き込まれていなくても?)
問題解決や対処に追われていて、「わたしがいる」というシンプルな感覚へのリアリティを失っている事が多い。
「わたしに起こっている諸問題が、ある」もしくは「わたしの外の世界に何かが起こっている」が知覚のベースになってしまう、容易に。
ソマティック(身体的)なワークの恩恵は、失いがちな「わたしがいる」という感覚を、感覚として呼び覚ますところだと思う。
わたしがいるというのは認知レベルでは、疑いようのないただの事実だ。
でもそれを「感じられていない」ことが、軸を見失い世界を複雑にする大きな要因ということはないだろうか。
わたしはヨガやボディーワークで、
「ふはあ〜・・わたしが、いたわ・・・」と黄泉の国から帰ってきたような気分になったことが何度もあります。
わたしが戻ってくるだけで、問題や世界との関係は変わる。
自己認識とか、自己一致と言われるものの土台はこの「わたしがいる」という感覚だと思う。
ただシンプルに自分の感覚をたどっていくことで出会う「わたし」というSELFの感覚のpreciousさといったら。
ケン・ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」という本のタイトルがとても好き。
わたしにとってのソマティックワークの恩恵は、いろんな思考のエピソードや認知のプロセスを挟まずに直に「存在することのシンプルな感覚」を体験できること。
呼吸のワークやソマティックのワークを通してお伝えしたいと願っているのは、単なる自律神経のマネジメントにとどまらず、その感覚自体に触れるという経験。
このキャロルのWSのレポートの中でこんなことを書いていました。
『キャロル先生はボディーワーカーという仕事を
”人生にたくさんの自由を与える仕事”
だと言ってくれました。
そして自分の人生にも、自由をもたらすものだと。』
5年経って改めてそうだなあ!と感じている。
ただここに自分がいることのシンプルな感覚は、
私たちを根本的に自由にしてくれるものなのです。
キャロル先生、また会いたいなあ!!!
それにしてもむちゃ嬉しそうにしている写真のわたし^^;
一緒に写っているのはアシスタントをしてくださった、ボディーワーク界のスター藤本靖さんです。
靖さんとの対談はこちらをどうぞ。
Magellan特集「身体が持つ可能性」
小笠原 和葉
ボディーワーカー /健康経営コンサルタント/
プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド®(PBM)ファウンダー
代替医療を中心として学術・臨床研究を深めながらさまざまな発信や
コラボレーションを通して新しい健康観「健康3.0」を探求している。
著書「システム感情片付け術」(日貿出版社)
クラ二オセイクラル・プラクティショナー(CHA)アシスタント・チューター
Somatic Experiencing®認定プラクティショナー
東北大学医学部大学院研究生
宇宙物理学修士
趣昧はフィギュアスケート鑑賞。一児の母。